(再)私が左翼の味方をする理由

平和を守ろう・32

私は大学時代、右翼と言われていた。今は左翼と言われる。

私自身はウヨクでもサヨクでもなく、オタクのつもりなのだが、現在の日本においては左翼の味方に立ちたい気持ちでいっぱいである。

ということで今回は、「私が左翼の味方に立つ理由」

1980年代、「自衛隊は必要だ」と言うだけで右翼扱いだった。自衛隊は法理論としては憲法違反だと思うが、政治論としては、規模はともかくとして必要である。専守防衛に留まる限り、必要で、これを不必要だなんて言う奴は、ソ連のスパイではないかと思った。

アメリカがやるとグラナダ「進攻」と書かれるのに、ソ連がやるとアフガニスタン「介入」。当然、介入は進攻よりも悪の度合いが小さく聞こえる。また、アメリカの原爆で死んだ人数は歴史の教科書に詳しく載っているが、スターリンが粛清でたくさん殺したことや、戦争が終わった後に日本兵を拉致してシベリアで強制労働させたことは書いていない。ということで、メディアも教科書も今よりはるかに左寄りだった。

さて、今はどうか。

今、共産党ですら、とりあえずは天皇制も自衛隊も資本主義経済も認めている。「消費税アップは許しません」なんて、共産党も丸くなった。

90年代、PKOならいいだろう、となり、2000年に日本の周辺に事態が起きたら仕方ない、となり、しまいには周辺でもないアフガニスタンイラク自衛隊が行くことまで行われるようになった。

私の母親が、ダイエットしているとか言いつつ、ついつい羊羹を薄く切っては食べ薄く切っては食べ、あっと気が付いたら羊羹が半分くらい消えていた・・・憲法9条についてのズルズルした妥協は母親の羊羹を思わせるものがある。

私は以前から一貫しており、「日本が攻められたときに自衛するのは当然。しかし、他国にまで行くべきではない」と主張していた。私が同じ場所にいたら、日本人の圧倒的多数が私よりもどんどん右に行き、気がつけば極左扱い。この現状を見て、ますます頑張らねばと思うのである。ここで黙っていたら、そのうち核武装も構わない、徴兵制も構わない、先制攻撃も構わないとなるのではないかと心配なのだ。

「まさか、そこまでは」

と思うだろうが、実は昔「自衛隊がそのうち名目をつけて海外に行くようになるだろう」なんて言うと、「まさか、それだけはない。そこまでやったら日本人は黙ってはいない」と言われたものである。ズルズル現状を追認する人間ばかりならば、核武装のとき、徴兵制のとき、先制攻撃のとき、急に怒るとは思えないのである。

社民党共産党全員および民主党の左から10人くらいではあまりに心もとない。

私は、「ついズルズルどこまでも行ってしまう」タイプの人には、「着エロアイドルを見習え」と言いたい。

着エロとは、もちろん携帯電話の着メロをもじってできた言葉である。限りなく裸に近い格好をしても、ギリギリ裸にはならない。

アダルトビデオやヌードモデルとは一線を画す。

「ここまできたら裸も同然だろ」と思っても、胸の先と下の毛だけは見せない。ギリギリでも少しは着ているので裸ではない。

そして、私の長年の観察だと、「着エロ」に留まる限りは、テレビでも何でもちゃんとアイドル扱いである。わずかな布だけでもそれがあるのとないのとでは大違いなのだ。

「もうここまで来たら脱いでも同じ」と思ってしまうと大間違い。もう2度とアイドル界には戻ってこれず、あとはどんどんエスカレートするしかない。

防衛問題も同じである。「ここまで来たら憲法9条を変えても同じだ」「ここまでやっていたら、後方支援に留まる必要はない」「ここまできたら集団的自衛権に踏み込んでも同じ」とやけくそにならないことだ。

着エロアイドルは小さな小さな布に大きなこだわりを持ってアイドルでい続ける。「もう同じことだ」と思っても、「これだけは絶対やらない」という基準を持ちつづけること、ズルズルいきがちの人にこそ、そのことを強く訴えたい。